「神との対話」ニール・ドナルド・ウォルシュ著 吉田和子訳

神に姿形はあるのですか?

私にはあなた方が理解できる形も姿もない。
私は偉大なる『見えざるもの』であって、ある瞬間の形や姿ではない。
神は、外から分かる形で、あるいは下界の現象を通じて出現するのではなく、その人の内的体験通じて現れるなら、外から見える姿は必要ない。

感謝とは?

感謝とは、神を信頼することだ。
求めるより前に神が応えてくれると認めることだから。
決して求めたりすがったりせず感謝しなさい。
感謝は神をあやつる手段では無い。
自分にウソをつくことはできない。

祈りとは

どんな祈りでも叶えられる。
祈りとは、これが現実だと認めること。
どんな祈りも、どんな考えや思い、感情も、創造につながる。
最も強く信じている思考や言葉、感情が作用している。
大切な秘密は、『思考を支える思考』が思考をコントロールしている。
「欲求を陰で支えている思考」というのは、『望みは叶っていない』と言う思い。そちらの方が現実になる。
支えとなる思考の中で『望みが叶っていない』という思いよりもっと力強いのが、
『神は必ず求めるものを与えてくださる』
と言う信念。
神があらゆる求めに応じてくれると信じるのは難しいが、
そもそも求める必要が無いと言うことを直感的に分かっていれば、
祈ることはずっと優しくなる。
その時、祈りは、感謝の祈りになる。
求めるのでは無く、望みが叶っていると素直に感謝するようになる。

神があなた方の人生のすべての創造者であり、決定者であると信じているのは誤り

神は観察者であって、創造者では無い。
神はあなた方の人生を助けるが、あなたが期待しているような助け方はしない。

神は、神の姿をかたどり、神に似せてあなた方を創造した。
残りは、神が与えた力によってあなた方が創造したのだ。
神は人生というプロセスと生命そのものを創造した。
だが、神はあなたが自由に選べる選択肢を、人生を好きなように生きる力を与えた。
その意味では、あなた方の意思は、あなた方に対する神の意志でもある。

あなたの生き方はあなたの生き方であって、私はそれを良いの悪いのだと判断しない。
(神は、採点をしない。)
あなたが何をしようが私には関心が無い。

子供たちがどんな遊びをしようとかまわない。
怪我をしたり、命に関わるときには助けてやることはするが、ままごとをしようがかくれんぼをしようがそれをとがめたりしない。
賢い親ならそれを承知している。
結果についての親の心配は決して消えない。
プロセスについてはあまり気にしない。結果について深く懸念すること。神の二分法。

神は結果についても懸念しない。それは、既に決まっているからである。

人間の行動には2つの動機しか無い

・不安
・愛
の2つだけ。

行動も思考もこの2つだけが最初の動機。

最高の愛を誓った瞬間に最大の不安にぶつかる。

「愛している」といった瞬間、「愛している」と言ってもらえるか不安になる。
「愛している」と言ってもらった瞬間にその愛を失うのでは無いかと不安になる。
あらゆる行動が「その不安」が実現しないように自衛の行動となる。

自分が何者かであるか知っていれば、その不安は解消できる。
神が創造した中で、一番優れていると神に言われたら安心できる。
決して不安にならないはずである。

あなたは自分が何者かを知らず、ダメな存在だと思っている。
どうして自分はダメだなどと思い込んだのか?

それは、無条件で信頼している良心が教えたからである。
愛は条件付きと親が教えた。

無条件に愛されると言うことを忘れている。
神の愛の体験を思い出せない。
親から、世間から教わった愛を基準にして考え行動するようになっている。

神は良いか悪いかを判断しない。
神は褒美を与えたり、罰したりしない。
神は恐れる必要は無い。

人間の考え、言葉、行為のすべては、
どちらかの感情が元になっている。

人間の行動のすべては、愛と不安からなっている。